対岸

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上の写真は僕の高校時代の通学路だった河川敷です。対岸にも同様の河川敷があるのですが、其方は浪人時代の通学路でした。

二つの土手は途中までは対岸に平行に伸びているのですが、その先真っ直ぐに海の方へ向かうのが高校時代に使っていた道、曲がって都会の方に向かうのが浪人時代に使っていた道でした。

 

高校時代と浪人時代、同じ川を挟んで全く別の景色を見ながら通学していたのですが、それがまるで高校時代と浪人時代の象徴みたいに今は感じられて。

 

家があるのが高校時代通っていたほうの河川敷であるため、帰省して走りに行くのは専ら其方なのですが、対岸を見ると浪人時代を思い出して漠然と虚しくなります。

 

今の自分はあの時自分が思い描いていた自分とは全く違う。

 

勿論高校時代に思い描いていた自分とも全く違うのですが、高校時代に思い描いていた自分と同じ道に進まなかったことに関して僕は後悔が無いので、胸は痛まないんです。

 

浪人時代に思い描いた自分は一番現実的に自分が思い描いていた道だったから、その自分と現状の差を考えると偶に居た堪れない気持ちになります。

 

今日走りに行ったのですが、対岸を見ながらずっとあの時の自分にもし会えたら何と言うだろうかと考えていました。

 

今の自分一番伝えたい後悔は何だろうと。

 

走りながらしばらく考えて、色々な後悔が頭に浮かんでは消えて、どうせ対岸の君には届きやしないのに、溢れて溢れてああやっぱり後悔だらけだなと思いました。

 

でも多分会って伝えたところで対岸にいた頃の自分にはきっと届かなかっただろうな、っていうのも自分のことだから何となく判りました。

 

 

そして散々後悔を口にした割に、色々考えてみたら大して変えて欲しい選択は無かったんですよね。不思議なことですが。

そこが変わったら悪かった部分だけじゃなくて良い部分も全部消えてしまうだろうから。もし未来が分かっているならきっと今と同じ選択をするなと。矛盾していると自分でも思いますが。

 

例えばあの時、北大ではなく東京の私大の方を選んでいたら。

例えばあの時、当初の志望通りの学科を受けていたら。

まあ贅沢言わせてもらえるなら、後期に学部別で生物科を受けて欲しかったかな。君ならきっと受かったから。

 

そのくらい。

 

今日は身体が軽くて、海までだって行けそうな気がしたんですけど、行ったらもう戻れなくなるような気がして引き返しました。

 

身体に力があるうちに、うんと遠くへ行っておけば良かった。戻れないくらい遠くまで行っておけば良かった。

今の自分が生まれる前に、ずっと遠くへ行ってしまえば良かった。

 

二本の河川敷はこの先も交わることなく続くってだけ。

 

今の僕は幸せです。