追想

 父は、うらぶれた物寂しい風景が好きなのだと母が言った。

わたしはそれを悪趣味だと思った。

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浪人時代、 息抜きによく自転車で走った道を走って来た。

信濃川沿いを上流に向かってただただ走る芸のないコース。

上流に向かうに従い、川沿いの家々の中に段々と田舎の古びた家が増えていく。都会の人が想像するような小洒落た古民家ではなく、妖怪が出そうなボロ蔵や、何が潜んでいてもおかしくない廃屋や、修理を重ねた生活臭の漂う年季の入った家々だ。

昔はそういった寂しい風景が苦手だったが、当時父親はよく上流の町にわたしを連れて行った。

高校生くらいになってから急にそういう風景に惹かれるようになった。遺伝子のなせる技か、懐かしい記憶がそうさせるのかは、どちらの要素も持っているわたしにはわからない。

 

小学生の頃から、自分ではない人になりたいという思いや、違う人生を歩みたいという願望が強い子どもだった。それは高校生になっても変わらず。

知らない土地に行くと違う自分になったような気持ちになれる。だから、そういう土地をふらふらするのは昔から好きだった。今は当時ほど強い変身願望はないが、それでも知らない街を歩くのは大好きだ。親には何も言われなかったが、祖父母には今でも心配される。わたしが行きたがる先が大抵人気の無い物寂しい場所だからだ。

浪人していた頃、見知った場所から離れれば離れるほど、現実世界の自分と離れられる気がして、ひたすら自転車を漕いでいたことはよく覚えている。 今こうして同じ道を走るわたしには当時のような思いは無く、ただ過去の自分を追いかけてみようとしているだけだけれど。

その時の自分が自転車を漕ぎながら何を考えていたのか、今の自分には思い出せなかった。記憶にある道を辿って行ったら、折り返し地点から家まで10㎞以上も離れていた。30分以上漕いでいたことになる。その間何を考えていたのだろう。大学に入った後のことを妄想していただろうか、死にたいと思っていただろうか、或いは。それにしても浪人中にアクティブすぎやしないか。

大学一、二年生の頃はまだ高校時代や浪人時代の記憶が結構鮮明で、その時の感情を言葉に出来た。もう三年も終わろうとしている今、自分の中にはもうほとんど切れ切れの情景しか残っていない。言葉も感情も無い。覚えておく必要の無いものだから忘れたのだろうが、何となく勿体無いような、大事なものを失くしたような気持ちがする。

記憶に途切れ途切れに残る景色を今日見て回ったが、やっぱり少しも思い出せなかった。

感情はナマモノで、時間が経つほど薄れ、最後には風化して無くなる。無くなったものは取り戻せない。

自分自身ですら、刻一刻と変わっていて、当時の自分と今の自分では抱く感情も異なる。

あとでこれを読み返した自分は何を大袈裟にと笑うだろうか。何を思うだろうか。

物寂しい風景に惹かれるのは自分の終着点をそこに見ているからだろうか。

答えは先の自分に託す。

 

色々なことを忘れてしまっても、あの日の風景だけは忘れないでいられたらいいと思う。同じ景色は二度と見られない。

夕焼けを映す信濃川の水面。黄昏時の電波塔。廃墟。誰が立てたのかもわからない、誰も従っていない立ち入り禁止の看板は今もまだあった。人が住んでいるのかいないのかも定かでは無い古い家々。何故かお堂がガラス張りの神社。どこまで行っても似たような景色が続く田舎道。黒地に黄色い文字で書かれたキリスト教の看板。目の前に開けた田んぼとその奥に見える山々。

 

もしかしたら一人でこうして自転車でこの道を走るのも最後かもしれない。

これが最後の長期休みだからだ。

来るとしても遠い先の話になるだろう。

次に来るとき、自分がどうなっているかはわからないが、父親と同じように後ろに子どもを乗せて走っていたら笑ってしまうな。

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立ち入り禁止の看板

関係者って誰なんだ

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折り返し地点 

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帰り道

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走った道 ど田舎